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光洋リフォームの歴史

代表・米山の歩みと思い

私は長野県の北信地方で生まれました。
小学校5年まで、父親が勤めていた会社の社宅に親子4人で住んでいました。その後少し離れたところに市営住宅が作られたのをきっかけに、そちらの方に引っ越しました。
そこで、小学6年から高校卒業まで家族とともに暮らしていました。 その家はたった10.5坪の家でしたが、とても嬉しかったのを覚えています。

高校は長野工業高校の建築科を選びました。
中学3年の私には夢がありました、自分たちの家がほしいという夢が・・・・。
まだ子供の私にとって、この道が最短で自分の家が持てるものだと信じていました。

高校の授業では製図の時間があって、自分の家を図面化する課題がありました。私は、他のクラスメイトの図面を見て愕然としました。一目瞭然でみんなが大きな家に住んでいるのがわかったからです。
そのとき、自分のなにくそ精神がむくむくと頭を持ち上がってきて、 なにくそ、いつか...「いつか必ず自分の家を持つぞ~」とその時強く思いました。


就職

高校を卒業すると、地元の大手ゼネコンに就職しました。仕事は工事現場の監督です。
当時、現場監督の仕事は大変辛く、苦しいことの連続でした。

このときの私にも夢がありました。それは、早く一級建築士の資格を取ることでした。高卒の私には、最初3年間の経験を積み二級建築士の資格を取ってから、さらに4年間の経験を積まないと一級建築士の試験を受ける資格すらありませんでした。それでも何とか頑張って一級建築士の試験を一発で合格させました。

その後、無理がたたって体を壊し、しばらく現場の仕事ができなくなりました。そんなことがあったお陰で色んな仕事をさせていただき、色々覚えさせてもらいました。このことが今となって大変役に立っています。どんなときもくさったり、決して諦めてはいけないということを、このとき覚えました。


社内移動から独立へ

その後、同じグループの建築物の改装等の工事をする会社に移動しました。
当時はまだ改装と呼び、リフォームとは言っていませんでした。ずっと大きなビルやホテル等の工事に携わってきましたが、お客様との関係がより濃密で、大きなプロジェクトとは全く違うやりがいに大きな喜びを感じました。わたしはこの分野に大きな魅力を感じ、この仕事がとても好きになりました。

そしてこの仕事を一生の仕事にしようと、この会社をふるさとの長野の地に立ち上げたわけです。私は独立してから20年以上ですが、18歳からここ長野で建築工事の仕事に携わってきました。トータルで45年以上の経験があります。


思い

皆様が今住んでいる家は、父または祖父あるいはご先祖様のだれかが苦労して建てたものです。家を作るということは大変なことです。自分がやってみてつくづく思います。お金もかかります。

その家には家族の思い出がたくさんつまっているはずです。 そんな、建てた人の気持ちと思い出を大切にしながら、時代に合わせた、快適で安心して住みやすい家にリフォームする。それが私たちの基本的な思いです。

わが社には営業マンが一人もいません。展示場もありませんし、TVコマーシャルや広告も一切打っていません。だから余計なお金を使いません。その分家にお金をかけられますし、仕事にも打ち込めるわけです。




住む人それぞれに暮らし方があります。だから私達は、お客様が使いづらいのはどこなのか?何に困っているのか?をお聞きしとことんお話をさせていただいた上で工事を進めさせていただきます。

最近リフォーム業に参入してくる企業が多く見かけます。しかし住宅を建てたことがない人に住宅のリフォーム工事ができるわけがありません。

住宅のリフォーム工事をするには、工事経験がものすごく必要になります。と言うのは、建物は見たところいくらきれいな家でも、見えていない部分がすごく大切な所です。
壁中、床下、天井上がどうなっているのか知っていなくてはいけません。そうでないと、どう直していけばいいのか計画もできないからです。

私達スタッフには高い経験値があります。建物の見えない部分のことよく知っています。わが社では社員の技術者が現場に常駐して工事を進めております。
私たちは決してかっこよくありませんが、長野のリフォームにかける情熱と行動力はだれにも負けません、安心してお任せ下さい。
私たちの喜びはわが社でリフォームされたお客様の「あなたにやってもらってよかった」という笑顔です。
私には「周りの人を明るく元気にする」という特技があります。 是非みなさんとお会いしたいと思います。



光洋 長野市