長野市 光洋リフォーム 伊藤昭市の素顔

わたくしの生い立ち!

わたくしの生まれは長野市、親の家業は大工まるっきりの工務店をやっていました。
加工場の片隅に住んでいるような物で、玄関先で材木の加工をしていたり、母親はまだおむつのとれないわたくしをおぶって飯場生活をしていたとの事です。正月の元旦と二日だけが休みで、あとは日曜もお盆もなく毎日朝早くから、夜遅くまで働いていました。
そして小さな工務店ですから、小さな子供とはいえ貴重な戦力、毎日手伝いをさせられていました。小さい頃のわたくしにとっての建築とは、家庭、生活そのものでした。
そのせいでしょうか、今のわたくしにとって、土日の仕事や夜間作業といっても、なんの苦もありません。


建築との関わり...

毎日小学校から帰ってくると、加工場のかんなくずの片付けなどの手伝いをしていました。日曜日は、朝ご飯の時に弁当を渡され一日中手伝いです。親のトラックに同乗して建築材料の運搬、現場の片付け掃除、どぶさらいなど子供でもできる事をやっていました。
それが当たり前だったのですが、小学生ですから友達と遊びたい盛り、友達とも遊べないこんな家業が、いやだなと思ったことがたった一度だけありました。
それは夏休みのこと、トラックに同乗して家を出ると、小学校のプールに行く友達の列に出くわしたことがありました。その横を通るとき、いいなあって思う気持ちよりも先に、なぜかとっても恥ずかしくて、見つからないように、車が通りすぎるまでドアの陰に隠れていたことを今でも覚えています。
中学生になると、腰袋と弁当を持たされ大工さんのお手子です。ノコやノミまでは使いませんが、垂木の先に乗り破風板の片方をおさえていたり、根太や野地板の釘打ちをしたりしていました。 既にこの頃、家のできあがる流れは解っていたと思います。


建築をめざした理由・・・


建築の仕事を始めた若かりし頃の写真

現場の片付けや掃除はよく行きましたが、一度だけ引き渡しの時に着いていった事があります。青い空に入道雲の立ちあがる夏の事、トラックに乗っていって引っ越しを手伝いました。そのときの汗をいっぱいかきながらうれしそうに荷物を運び込んでいるお客様の姿を見ました。『ありがとうございました』と言って何度も父にお礼をしているお客様の姿を見ました。そのとき父親ってすごいんだと感じました。
汗をいっぱいかいた自分にも、『手伝ってくれてありがとな、いっぱい食べな!』と一番大きなスイカを手渡してくれました。そのとき家を造るっていうのは、人に喜んでもらえる事なんだと心に感じました。それが、一番のきっかけのような気がします


わたくしの目指す建築とは

"快適で夢のある生活空間を"それが自分のモットーです。
一番は皆さまに喜んでもらいたいのです。夢をもって毎日明るく過ごしていっていただきたいのです。そのための家造りのお手伝いをさせて頂いています。
マニュアル化されていたり、パターン化された、この中からお選び下さいなどと、押しつけるようなことではありません。
家の工事はそう何度もできるものではありません。ご自分の夢やご希望を全てお話下さい。それをかなえるため、いろいろなご提案をさせて頂きます。一緒に意見を交わして、より快適な家をご一緒に創り上げていきましょう。



自分の趣味は・・・

とにかくアウトドアが大好きです!
山菜狩りに、きのこ狩り、渓流釣りも良いですよね。 でも一番はなんといっても山、山が大好きなんです。汗かいて苦しくて、やっとの思いでたどり着く山、その達成感がたまりません。そして上から見おろす広々とした世界、いいですよ。
北海道の山々から、東北の山、アルプス北鎌尾根、南は屋久島まで歩きましたが、どこの山もみな素晴らしかった~!
長野にいると周りがすべて山、ちょこっと足をのばせばこの素晴らしい大自然を満喫できるのですから、本当に良い場所に住んでて幸せ!
機会があったらぜひご一緒しませんか。険しい山が全てじゃありません。毎日見ているすぐ近くの里山から、自分の住む町を見下ろしてみるのもいいもんですよ!


光洋 長野市